やっぱりネタ死

数年前のこと
梅雨の合間の晴れた昼間学校からの帰宅時に買い物袋に子猫が寄ってきた。
めちゃめちゃかわいい。飼いたいけど家に連れていくのは諦めた。
それから2-3日は、学校の行き帰り、なんとはなしに家の辺りを
徘徊しているその灰色の子猫に餌をやるでもなく、呼ぶわけでもなく、
見守るというより眺めるだけの、時間を共有していた。2分位ずつだけど。
4日目の朝は雨だった。部活動の朝練に急ぐ路傍がいつもと違った。
向こう側の道端に何か落ちている。
学校方面へ歩きながら落し物を眺めるとあの子猫だった。死んでた。
雨で冷えて死んだのか、栄養失調で死んだのか、交通事故で死んだのか、
全部であるようにも思えたその死体は、排水溝に寄せられているのに
その穴から下水流に合流できないのが無念かのように形を留めていた。
それから一日後、それは跡形も無く消えていた。片付けてもらったんだろう。



そして10年前のことを思い出した、
大韓民国の大使館前にあった電柱につくられた鳥の卵が
孵化しかけの時に地面に落ち、皮膚は透明なまま殻が割れて内臓が見えた、
あの日も雨だったなあ。
雨水がまた皮膚の透明感に艶やかさを加えてグロテスクな美まで醸してた。
いや本当のところは、ヒタスラぐろかった。一部といわずつぶれてるし。
そっちは風化するまで無視されてたんだけど。小さいから、目立たないからね。
そういうのがぱさぱさに乾いて散り散りになって混ざった空気を吸って
毎日学校までそんな息を切らして歩いているんだなって改めて思った。鳥こええ。
それ以来、鶏は無理で、ふぐのからあげしかたべられなくなってしまったんだ。
めんまた嘘書いた。



そして昨日また黒い猫が死んでた。